
夏の風物詩といえば、打上げ花火。心待ちにしている方も多いのでは?毎年各地で恒例となっているこの一大イベントを取り仕切る花火師さんにお話を伺いましたのでご紹介します。
取材先は厚木の『ファイアート神奈川』。出迎えてくれたのは三代目社長の和田吉二さんです。前身を和田花火店といい、創業100年以上の老舗。平塚や茅ヶ崎、厚木鮎まつり、箱根大文字焼などの花火大会を手がける凄腕の職人集団。その腕前は、全国の花火職人が匠の技を競う花火競技大会で発揮され、伊勢や土浦、大曲など名立たる競技大会などに於いても優勝など数々の入賞を果たすほどの技術力。吉二さん自身も神奈川の名工という称号の持ち主です。
花火というものが文化となり、人々の心を捉えて離さない、その魅力はどのように培われてきたのでしょうか?
明治の頃、花火は農家の方々が趣味や道楽で始めたのがきっかけだったそうです。吉二さん宅も例外ではありません。農業が本業でした。自給自足の生活をしながら花火は楽しみの一つとし、仲間内でその綺麗さなどを競っていました。「昔の質素な貧しい暮らしの中で、花火の華やかさは生活に潤いを与え、人々の心を掴んでいったのでしょう」と吉二さんは語ります。情報網が乏しく、口コミや手紙などといった昔ながらの手段しかない時代にあっても、心に響くものは文化として伝播していくことを物語っているかのようです。 二代目の時代になると商いとしての性格も帯びてきたようですが、本格的に会社として動き出すのは吉二さんの代からだったといいます。戦後、経済復興を果たした昭和30〜40年代頃になると祭りやイベントの復活で花火の需要が増えたといいます。
「花火は一瞬。でもその一瞬を大勢の方の歓声が包んでくれる時は何よりも嬉しい。形として残るものではないけれど、それぞれの記憶に残ってくれればね」と笑顔で語る吉二さん。
もちろん、苦労も付きもの。火薬を使うので安全を何より確保し、作業のマニュアル化や対応などの徹底は怠ることはありません。海・山・川のどこで上げるのか、周囲の環境や天候はどうなっているのか、様々な状況下で最良の花火を上げます。 明治の頃、花火が趣味として人々を魅了してきた頃から現在まで、時代が変わっても人々の心を掴んできた花火。これから時代が変わっても私達の心を楽しませてくれる文化であってほしいですね。一つの場所に人々が集まって、世代関係なくそれぞれの楽しみ方をしている。「おー!」と大人も子供も感嘆の声を上げる。あらゆる物事が変化し、多様な時代にあってもこのように全世代が純粋に楽しめる文化があるというのはいいものだと改めて感じました。今年の夏も吉二さん達の花火が各地の夜空に彩りを添えます。(記・つゆ)
■ファイアート神奈川http://www.fireart.co.jp